Reonis OceanNovels>斬義


斬義


――雪が降っていた。 桜の様に美しく舞う釦雪。
 東、刀を持つ狂喜の男。 西、刀を持つ狂気の男。 二人が睨む過去、忌々しき思い出。
 だがそんな思い出は今や戦う動機にすらならない。 この二人は今、互いに溢れ出る衝動を抑えている。
 東、相手に対する悦び。 ――西、相手に対する憎しみ。

 相互の感情が天秤の如く揺れ動く。
 東、西へ一歩。 西、東へ一歩。 それぞれ進攻を開始する。

 東軍・慈魏。
 彼は、生粋の喧嘩番長として地方で名を爆ぜていた。 仁義に厚い彼は家来に優しい、否甘かった。
 だが、その甘さは不幸を招くことはなく、寧ろ家来たちを上手く成長させた。
 一方で女癖の醜悪さ、卑しさすら知れていたのだが、それでも彼の功績は、地方都市中に鳴り響いていた。

 西軍・斬義。
 彼は、生粋の荒くれ者として地方で畏れられていた。 人見知りからか、他人とは決して協調しない彼を雇うものはいなかった。
 警備職としても重要なのは力よりも社会との協調。 彼は、力を求む職にすらつけなかった。
 そして、盗賊のようなことを行い、役員に捕まり、罪を重ねて職に就けず、結果また盗賊をするしかないという完全なる悪循環へと堕ちてしまった。


 そんな斬義にも、たった一人だけ大事にしていた娘がいた。 名を『光妃』と云う。 彼が娘『同然』に可愛がっている女である。
 落ちぶれていた彼が塵捨て場で拾った一人の少女。 彼はそんな誰が捨てたかも知れない不幸な少女に『尊敬』を抱いていた。
 捨てられていながらも『生きていた』ことに対する尊敬。 自分のような落ちぶれた人間に光を授けて下さった尊敬。

 空腹で思考能力を失っていた彼が真っ先に行ったこと。 それこそが、自分が盗んできた『赤飯』の献上。
 このような高価な飯は貴女こそ食べるべき、そのようなことを彼は脳ではなく、本能で行っていたのである。

 五年が経ち、斬義は変わった。
 『邦戯』と名乗り、酒屋の下男を始め、行き倒れや乞食等の死体処理や厠掃除と云った万人が嫌がる職も率先して行った。
 一方の光妃もこの五年間で眩しく、美しく成長を遂げた。
 齢七相応でありながら洞穴を二人の住まいとし、土の平面化や河川へ赴き衣服の洗濯、そして近隣の柔らかい土を利用して、小さな水田を作っていた。

 夜時は洞穴に蝋燭を灯し、暗い中で食を取る。 近隣で取れた茸や雑草、魚を主として食べていたが、米はいつの日も赤飯だった。
 食事中に彼が、調達に金が掛かるので麦飯にしろと発したのは一度や二度ではない。 それでも彼女は赤飯を作り続けた。
 光妃によると「赤飯とは幸福の象徴である」ということだった。 それは何気ないこの日々こそが幸福であるということを示しているようだった。


 だがその幸せは長く続かない。
 紅葉により街に彩りが生まれる秋の日、食卓に赤飯が並ばなくなった。 斬義は何故なのか、と訊ねると光妃は「此の頃は調達が難しくなった」と答えた。

 ある日の朝、斬義が目を覚ましたところに光妃の姿は無かった。 彼は酒の仕入れという仕事があったが、そんなことはお構いなしに洞穴を出て、只管に光妃を捜した。
 対人の付き合いが薄い彼は他人に協力を仰ぐことが出来ず、あてもなく捜し続けた。 山の中、森の中。 河川敷。 街の中だって捜した。
 絶望の淵に立った彼は洞穴の家へと戻ってきていた。 光妃が作った田を見た。 本来秋とは実りの季節と云われるように、花などが咲き乱れると観られる。
 しかし、この田は水が無い。 何日も管理が行き届いていなかったのだ。 これを見てしまったことで光妃の変貌は今になってのことではないということに気付いたのだ。

 だが、斬義はまだ知らなかった。 愛娘、光妃に降りかかる絶望が――。

――交錯する眼。 斬義と慈魏は刀を交わす。 慈義の瞳が、好奇の色に染まる。 この廃れた男に水を与えた光妃は、一体何者だったのかを。


 光妃の消息が絶えて三日経った頃、飲まず食わずで瞑想を続ける斬義の目に覚悟が浮かぶ。
 自分の人生そのものの光である彼女の笑顔を奪った人間。 まだ見ぬその者を決して赦さないこと。 
 長年使うことがなく、錆びついてしまった刀を見上げる。 これを振るう時が来てしまった。
 自分が動くことで光妃が歓ぶなどとは思っていない。 だが彼女は己の希望、絶対に死なすわけにはいかない。
 斬義は刀を握り、洞穴から姿を消した。


 それから二年の月日が経った現在、両者は対峙している。
 風の便りから、当時 慈魏は各地で美女狩りをしていたようで、光妃の他にも消息不明となった女性は多くいたのだ。
 美女狩りに遭った女は、殺されたか奴隷と化しているものが殆どである。 彼女がどうなったのか、考える気にもならない。
 しかしそれでも、斬義は慈魏を斬らねばならなかった。 愛する者を奪った代償を刻み込む。 彼の決意は揺るがない。

 両者の実力は均衡している。 その上に重なるは、西に復讐・東に悦楽。 誰も邪魔することが許されない、領域。

 先に動いたのは、慈魏。 愉しむが、手は抜かない。 左方の胸部を狙い、刀を振り下ろす。 斬義はその行動を読んでいたのか、造作無く護る。
 こいつは『やる人間』だ、慈魏は確信を持つ。
 そこへ斬義が行動を起こす。 裏に仕込んだ脇差で腹を裂く。 視界を遮る鮮血、斬義は一切の情すら起こさずに戸惑う慈魏の首を押さえ込む。

 彼の眼は復讐の蒼き炎に燃えていた。 冷徹なる熱さ、灼熱する冷たさ。 相対する力が最後の攻撃を起こす。
 慈魏の臓を狙う一突き。 慈魏は崩れ落ちる。 だがその瞳に『媚』は見えなかった、寧ろ何処か満足した表情にも見えた。


 彼女を捜し続けた二年間、そして慈魏との僅か二百秒余りの決闘。
 精神は燃え尽きるも、『光妃を捜す』ことを彼は本能で行った。 慈魏が奴隷を住まわせていた、監獄だ。
 そこに光妃はいた。 褐色の弊衣を身に纏い、肌には雀斑が目立つ。

――五年という月日が、自分に活力を与えた。 五年という月日が、自分にとって全てだった。

 たとえ襤褸を纏っていたとして、たとえ美を削がれたとしても、絶対的である彼女の存在『光妃』は揺るがない。
 彼女の存在が、斬義の中にあった二年間の空白を瞬時に埋める。

 斬義は駆けていた。 檻を刀で何度も斬りかかる。 錆付いていた鍵は崩れ、光妃が斬義の胸へと飛び込む。
 二人から自然と涙が零れる。 再び手にした幸福、これからは彼女の為に、未来が永久に幸せであるように、斬義は願った。


 そんな彼が、光妃の違和感に察したのは、間もないことだった。 抱擁を緩めようと彼女を胸から離す。 それと同時に、光妃は斬義の頸の裏を自らの方へと掴み寄せる。
 瞬間、二人の唇が触れ合う。
 目を閉じ幸福を実感する光妃に対し、目を見開き彼女の行動に不審を抱く斬義。 二人が初にして対となった瞬間だった。

 頬を染め、目を合わせるとふと背けてしまう彼女の行動は九歳の子供としては相応の行為である。 だが明らかに、『親』に対しての行為ではなかった。

――光妃は、斬義を慕っていた。 親としてではなく、一人の男性として。

 ふと、斬義は彼女が消えた二年前の日を思い返していた。 管理の行き届いていない水田。 食卓に並ばなくなった幸福の象徴・赤飯。
 彼女が『斬義を慕っている』と自覚したのがこの時期だとしたならば、自らの想いを遂げられないのだと悩み苦しんでいたとしたならば。

 彼女を不幸にしたのは、間違いなく自分だ。 斬義は深く後悔していた。

 光妃は斬義にとって太陽のような存在だった。 だからこそ彼は将来の彼女が幸せである為に、その権利を与えるために、日々働いていたのだ。
 彼女を真に幸福に出来るのは『誠実な人間』だ。 自分ではない。 誰よりもそれは自覚していた、はずなのに……。

 光妃の想いに、気づいてしまった。 二人は脱出することも忘れ、立ち呆けている。
 光妃が、斬義の返事を待っている。 そんなもの、答えられるわけがない。 聡明な光妃は、そんなことも分かっていた。

――二人の最期が、近づいていた。

 彼女を不幸にする人間がいるなら、絶対に赦さない。 例外はない。 たとえそれが自分であったとしても。

――斬義に何かがあれば、光妃は崩壊する。

 そんなことも分かっている。 自分が消えてしまえば、彼女の幸福は永久に訪れない。

 斬義がこれから何をなすのか、光妃は分かっているようだった。 彼が問うこともなく、深く頷いた。
 斬義の心から、重荷が薄れていく。 もう一度、彼女を抱きしめる。 強く、強く。 絶対に離れないように。
 二人の目頭から、涙が零れる。 先程の涙とは、全く違うものだった。

 取り出した刀、斬義にとっては光妃以上に付き合いの長い戦友だ。 我を失っていたときも、彼女を取り戻すときも付き添ってくれた。
 そして今、二人を見届けようとしている。

――彼女を不幸にしてはいけない。

 先ず光妃に刀を渡す。 彼女の真実が見えない。 どちらが先に死すのか、彼女に委ねる。 愛した人に殺される程、絶望なことはないのだから。
 彼女は刀を握りしめ、斬義の腹を斬る。 深く貫通し、彼は笑顔をふと浮かべ、その人生を終えた。


 次の日、二人の死体は公のもとに晒されることとなった。
 慈魏の死は社会を大きく揺るがした。 一省の支配者が何者かに殺害されたことは稀である。
 また、身元不明の死体が見つかった。 柄のよい男性、腹が裂かれていた。 彼が慈魏を殺害したのだと、警吏は確信する。

 だがここで一つ、警吏は不審点を抱く。 それは動機だ。
 慈魏の『美女狩り』は有名である。 それに反感を抱き、行動に出た。 そうとするならば納得できよう。
 だが、肝心の女がいないのだ。 身元不明の死体は監獄付近に発見された。 救出に向かう途中に怪我で動けなくなったのだと見るのが自然だ。
 ならばなぜ、女がいないのか。 警吏の感じた不審点は解決されることはなく、この事件は幕を閉じた。


 十年後、故・慈魏の息子である『慈峰』が何者かに暗殺されたという報道が流れた。
 目撃証言によると、犯人は貴き威光を放つ、女の武者だったという。

-完-

   

inserted by FC2 system